「人の災を喜ぶ者は罰を免れない」(箴言17-5)について考える

人の災いを喜ぶな

前書き

 日本にも「人を呪わば、穴二つ」ということわざがある、この意味は、相手を呪うと相手用の穴と自分用の穴の二つを掘って用意する必要があるとの事。
つまり、相手を呪うと自分にもその呪いがふりかかって来るという意味だそうです。

聖書の中でも、エルサレムがバビロンに攻め滅ぼされた時、周辺の国々がエルサレムを笑ってあざけったようです。それに対し嘲った国に対し、神様が復讐される事が書かれています。

「人の子よ、ツロはエルサレムについて言った、『ああ、それはよい気味であるもろもろの民の門は破れて、わたしに開かれた。わたしは豊かになり、彼は破れはてた』と。
それゆえ、主なる神はこう言われる、ツロよ、わたしはあなたを攻め、海がその波を起すように、わたしは多くの国民を、あなたに攻めこさせる。
彼らはツロの城壁をこわし、そのやぐらを倒す。わたしはその土を払い去って、裸の岩にする。

引用:エゼキエル 26章2~4節

なぜ「人の災を喜ぶ者は罰を免れない」のか

人の災を喜ぶ者は罰を免れない

引用:箴言17章ー5節

神様はエルサレムを罪の故に滅ぼされた、そして周辺の国々はそれを嘲笑あざわらった、しかし周辺の国にしても神様の目から見るとエルサレムと同じ罪人たちである事は変わりがない。

罪人が他の罪人を見て嘲笑ようなものだ、嘲笑う資格はない。そこで神様の罰が下ったのだ。

「人のふり見て我がふり直せ」


 

コメント