前書き
キリスト教信仰生活において、なぜ、祈りが必要(大切)なのだろうか?。
自分はあたりまえの事、又義務としてとして祈っている、あまり深く考えていないように思う。
そこでこの度私なりに考えてみた(独断と偏見で)。
考えられる事
- 神様の望む人生が歩めないかも知れない。
人間の力だけでは弱い、神様の助けを頂いて大いなる人生が歩める。「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。」
引用:聖書 マタイ 5-3
- 祈らないと、サタンにやられる。 強い順神様 サタン 人間
- 主の祈りを通して神様の御心を祈る。
天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように。みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。
引用:聖書 マタイ6-24~26
- 神様に祝福を願う。
主があなたを祝福し、あなたを守られますように。主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。
引用:民数記6-24~26
- 何か事を行う時に、祈ってから行う(神様の介入を信じて祈る)。
祈ってから行った結果と、祈らずに行った結果は違うはず。
人間の目には見えないが、そこに神様の働かれた差が出るはず。こうしてペテロは牢に閉じ込められていた。教会は彼のために、神に熱心に祈り続けていた。・・・・
すると突然、主の御使いが現われ、光が牢を照らした。御使いはペテロのわき腹をたたいて彼を起こし、「急いで立ち上がりなさい。」と言った。すると、鎖が彼の手から落ちた。
そして御使いが、「帯を締めて、くつをはきなさい。」と言うので、彼はそのとおりにした。すると、「上着を着て、私について来なさい。」と言った。引用:使徒12-5、7~8
真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。
ところが突然、大地震が起こって、獄舎の土台が揺れ動き、たちまちとびらが全部あいて、みなの鎖が解けてしまった。引用:使徒16-25~26
何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。
そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。引用:ピリピ4-6~7
- 信仰がなくなるかも知れない。・・・天国に行けなくなるかも知れない。
まとめ
? もし祈らなかったら
- 神様の望む人生が歩めないかも知れない。
- 祈らないと、サタンにやられるかも知れない。
- 主の祈りを通して神様の御心を祈る事がない。
- 神様に祝福を願うことが出来ない。
- 思い煩いが増える。
- 信仰がなくなるかも知れない。・・・天国に行けなくなるかも知れない。
尚、自分は祈りが苦手故、現在祈る項目を印刷してそれを祈るようにしています(それが正しいかどうかはよく分かりませんが)。
結論
神様に祈るという事は
神様に頼るという事。
神様に祈らないという事は
自分に頼るという事。
参考になる記事
霊的戦いに勝利するためには、祈らなければなりません。弱い人間の力では、強い力を持った悪霊たちに対抗することはできないからです。ですから、全能なる神の力をいただくために、日々祈る時間を持ちましょう。祈りは神の助けを得る方法です。祈りは、キリストの霊的な武器であり、負けが決まった戦いにおいても逆転勝利する秘訣です。自分の力を信じず、神だけに拠り頼む人こそ、キリストの立派な兵士なのです。
引用:リビングライフ2023/10/31
参考にして頂いた動画


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