クリスチャンの「アイデンティティ」

アイデンティティ

前書き

 「アイデンティティ」という言葉をテレビ等で最近をよく聞きます。
外国語故、言葉の意味が分かりづらい。私なりにかってに解釈し、「自分は何者なのか?」と解釈しました。

 所で、今日のテーマは「クリスチャンのアイデンティティとは何なのか」、という事です。
クリスチャンもこの社会の中で生きて行かなければなりません。そうした中でいつのまにかこの世の人と同じような歩みをしてしまいがちです。

 そのような時「クリスチャンのアイデンティティ」とは何なのかという自覚があれば、少しでもこの世に流されずにブレーキがかかるのではないかと思います。

以下は自分に言い聞かせる為に考えた事です。

クリスチャンの「アイデンティティ」

クリスチャンとしてのアイデンティティの確立
(自分は何者か)

  • 罪が赦され、魂の救いを受けている
          (エペソ1-7)
  • 聖霊により、新しく生まれている
       聖霊が内住している、聖霊の宮
         (1コリント6-19)

     ◆ 永遠の命が与えられている
        (ヨハネ第一の手紙 5-13)

     ◆ 神の国(天国)の(住)民とされている
        (エペソ2-19)

        我らの国籍は天にある
          (ピリピ3-20)
     
     ◆ 神の家族とされている
        (エペソ2-19)
  • 地獄行をまぬがれている

自分の宝は(永遠の命)である。

 

 

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