「天に宝をたくわえる」とはどういう事か・・?

天に宝を積む

前書き

 聖書マタイ6章20節に、「自分の宝は、天にたくわえなさい」とある。
地上に宝をたくわえるという事はすぐに分かるが、天に宝をたくわえるという意味は、具体的にどういう事なのか分かりづらい、天国に銀行があるわけでもないし。

そこでこの疑問について考えてみた。

ヒントになる言葉、No1

 ここでヒントになる聖書の御言葉が、マタイ19章21節である。金持ちの青年がイエスのもとに来て「先生。永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをしたらよいのでしょうか。」と尋ねた時の話である。

イエスは、彼に言われた。「もし、あなたが完全になりたいなら、帰って、あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」

上記から考えられる事は、イエスは、「この青年が自分の財産を売って貧しい人に与える」という愛の行為そのものが、天に宝を積む事になると認めておられる。これを図式にすれば次のようになる。

神様(イエス様)の為にした愛の行為 = 天に宝をたくわえる事。

ヒントになる言葉、No2

 次にヒントになる聖書の御言葉が、マタイ19章29節である。
「また、わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子、あるいは畑を捨てた者はすべて、その幾倍もを受け、また永遠のいのちを受け継ぎます。」とある。

ここでは宝という言葉は出ないけれど、「その幾倍もを受け、また永遠のいのちを受け継ぎます」ということは、天に宝を積んだ結果と実質はおなじではないだろうか?

ヒントになる言葉、No3

次にヒントになる聖書の御言葉が、マタイ10章42節である。

「わたしの弟子だというので、この小さい者たちのひとりに、水一杯でも飲ませるなら、まことに、あなたがたに告げます。その人は決して報いに漏れることはありません。」

まとめ

神様(イエス様)の為にした愛の行為 = 天に宝をたくわえる事。

 

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