前書き
福音伝道者、中田重治の生涯について学んでみます、多くの活動をしているので書きつくす事は出来ませんが。
中田重治の履歴
以下、『ウィキペディア(Wikipedia)』の記事を参照させて頂きました。
- 1870年(明治3年)11月20日、青森県弘前市、3人兄弟の3男として生まれる。
- 1877年(明治10年)、7歳、メソジスト教会弘前公会に行く。
牧師 本多 庸一 - 1888年(明治21年)、18歳、救いを受け洗礼を受ける。
- 1888年(明治21年)上京し、東京英和学校(青山学院)に入学。
- 参考【1890年(明治23年)、BFバックストン来日】
- 1891年(明治24年)、21歳頃、卒業試験を受けるが落第し退学。
本多庸一の温情によりメソジスト教会の伝道師の仮免状をもらう。
その後正式な教職となる。 - 1894年(明治27年)、23歳、小館かつ子と結婚
長男を生後1か月で亡くす。 - 1896年(明治29年)、25歳、次男、羽後が生まれる。
- 1896年(明治29年)26歳、~1898年、ムーディを慕ってアメリカへ留学。
- 1898年(明治31年)27歳、帰国後、松江にBFバックストンを訪ねる。
- 1899年(明治32年)31歳、「焔の先」創刊。➡1917年「聖潔の友」と改称。
- 1901年(明治34年)30歳、東京神田にて開拓伝道開始、『中央福音伝道館』。
協力者、カウマン夫妻
「聖書学校」も開設。 - 1902年(明治35年)31歳、協力者に、キルボルン夫妻も加わる。
- 参考【1904年(明治37年)、日露戦争が開戦。】
- 1904年(明治37年)柏木に聖書学院を移転、「柏木聖書学院」を開設。
- 1905年(明治38年)35歳頃、浅草に駒形伝道館を設けて、好地由太郎が住み込みで伝道協力した。
- 1905年(明治38年)35歳、東洋宣教会を設立
- 1906年(明治39年)35歳頃~1907年、世界一周旅行。
- 1911年(明治44年)41歳、3月8日に妻、かつ子、死去。
8月に 今井あやめ と再婚。 - 1911年(明治44年)、「聖教団事件」発生、大試練の年。
- 1914年(大正3年)、笹尾鉄三郎が死去(46歳)。
- 1916年(大正5年)46歳、伝道旅行・・関西方面。
- 1917年(大正6年)46歳、伝道旅行。
- 1917年(大正6年)46歳、東洋宣教会ホーリネス教会が設立される。
- 1918年(大正7年)、再臨運動。
- 1919年(大正8年)、リバイバル集会
- 1920年(大正9年)~1921年、アメリカ旅行
- 1922年(大正11年)51歳、伝道旅行
- 1923年(大正12年)9月1日、関東大震災。
- 1927年(昭和2年)、57歳、豪州旅行
- 1928年(昭和3年)、57歳、日本ホーリネス教会設立(東洋宣教会より独立)
台湾・北日本の旅 - 1929年(昭和4年)、58歳、世界旅行
- 1933年(昭和8年)、62歳、教団分裂事件
- 1936年(昭和11年)、66歳、中田派は『きよめ教会』設立、「天国案内」出版、5教授派は『日本聖教会』発足
- 1939年(昭和14年)、9月14日、妻あやめ死去。
9月24日、重治死去、68歳。
読み易い書物
天国案内
参考にして頂いた外部記事
国会図書館資料
- 四重之福音
- 天国案内


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