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天に宝を積む

「天に宝をたくわえる」とはどういう事か・・?

聖書マタイ6章20節に、「自分の宝は、天にたくわえなさい」とある。地上に宝をたくわえるという事はすぐに分かるが、天に宝をたくわえるという意味は、具体的にどういう事なのか分かりづらい、天国に銀行があるわけでもないし。そこでこの疑問について考えてみた。
心の貧しい者の幸い

聖書 心の貧しい者は幸い、天国はその人のもの

マタイによる福音書5章3節の、「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです(新改訳)」とあるが、中々深く理解しずらい、今回はこの事について考えてみます。
実を結ぶ

聖書で言う、実を結ぶとはどういう事か

果実の木を植えても、実がならないならがっかりするし、実がたくさんなるとうれしい。それと同じ様に新約聖書の中にも「実を結ぶ」という言葉が度々出てくる。現実問題として、新約聖書の中での実を結ぶという事は具体的にどういう事かを考えてみます。
タラント

タラントの譬え、なぜ1タラントの僕が叱られたのか

新約聖書マタイ25章にタラントを渡して旅だった主人の譬え話が出てきます。この中で1タラントを渡された僕が後の日に叱られています。なぜ叱られたのかを考えてみたいと思います。
破れ口に立つ

破れ口に立つ者

破れ口とは元々の意味は、城壁の一部分が破れている事を指し示す言葉のようである。城壁の破れ口があるのに、見て見ぬふりをするならば、敵が来てその町を攻め滅ぼす事も簡単であろう。そのようにそれぞれが属している教会にも破れ口があるはずである。それに気づかずに見過ごしているなら、上記エゼキエル書の言葉のように、神様の嘆きとお叱りを受けるのではないでしょうか。
アイデンティティ

クリスチャンの「アイデンティティ」

「アイデンティティ」という言葉をテレビ等で最近をよく聞きます。外国語故、言葉の意味が分かりづらい。私なりにかってに解釈し、「自分は何者なのか?」と解釈しました。所で、今日のテーマは【クリスチャンのアイデンティティとは何なのか】、という事です。
祈り

クリスチャン なぜ祈りが必要か !

キリスト教信仰生活において、なぜ、祈りが必要(大切)なのだろうか?。自分はあたりまえの事、又義務としてとして祈っている、あまり深く考えていないように思う。そこでこの度私なりに考えてみた
高慢

高ぶりは滅びに先立つ

人は失敗をする事がある、その時の心の奥の状態を見ると「心の高ぶり」が潜んでいるのではないだろうか。聖書の「箴言」にはいろいろな教訓的な言葉が出てくる。その中に今回の言葉がしるされている。箴言という意味は「知恵や教訓」という意味だそうだ。
ヴォーリズ

ヴォーリズ について

明治、大正、昭和と滋賀県近江で活躍された、教師、福音宣教師、建築家、であるヴォーリズに関して書いて行きます。
聖霊

聖書 聖霊について

クリスチャンにとって聖霊は非常に重要だと思う。しかし自分は聖霊についてよく理解していないように思います。そこでこの記事を書くことにしました。