前書き
マタイによる福音書5章3節の、「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです(新改訳)」とあるが、中々深く理解しずらい、今回はこの事について考えてみます。
まずギリシャ語の本来の意味から考えてみます
- 「心」と訳されている言葉
ギリシャ語の本来の意味 ➡ 霊 - 「貧しい」と訳されている言葉
ギリシャ語の本来の意味 ➡ 乞食のような貧しさ
天国に入る入口が「霊の貧しさ」ではないか
天国に入るには「霊の貧しさ」という入口を通ってしか入れないのではないか?、つまり自分を低くする人でしか入れないのではないか。
聖書の中からその事を探してみます。
- 言われた。「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、決して天の御国には、はいれません。だから、この子どものように、自分を低くする者が、天の御国で一番偉い人です。
(新改訳マタイ18-3~4) - しかし、イエスは言われた。「子どもたちを許してやりなさい。邪魔をしないでわたしのところに来させなさい。天の御国はこのような者たちの国なのです。」
(新改訳マタイ19-14)


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