前書き
「神の国と神の義を求める」とはどういう意味だろうか、自分にとって、分かったようで分からない言葉である。
そこで学んでみます。
聖書の言葉
ここで思わされることは、「添えて与えられる」という言葉である。あくまで「神の国と神の義とを求める」という事が主体であって、衣食が与えられというのはその付属のようなものである。だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。
これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。
まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。
だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。
引用:マタイ6-31~34
従って衣食が与えられという事を強調してはいけない。
では「神の国と神の義とを求める」とはどういう事なのか?
主の祈りから、意味を考える必要がある。
主の祈りの中で、神の国と神の義を求めている
天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。
御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。
わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、わたしたちの負債をもおゆるしください。
わたしたちを試みに会わせないで、悪しき者からお救いください。
引用:マタイ6-9~13
まず考えられる事は、「神の国と神の義とを求める」とは、主の祈りの「御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。(マタイ6-10)」という御言葉の意味と同じではないだろうか。
ChatGPTに質問してみました
引用:ChatGPT
まとめ
「御国がきますように」とは、「神様の支配が来ますように」、という事ではないか。
御国 = 神様の支配される領域
参考にして頂いたYouTube記事







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