前書き
聖書には再臨と言って、イエス様が世の終にもう一度来られると書いてあります。
そこで十人の娘のたとえについて学びます。
(聖書 マタイ25章1-15)
聖書(新改訳)(マタイ25章1-15)
そこで、天の御国は、たとえて言えば、それぞれがともしびを持って、花婿を出迎える十人の娘のようです。
そのうち五人は愚かで、五人は賢かった。愚かな娘たちは、ともしびは持っていたが、油を用意しておかなかった。
賢い娘たちは、自分のともしびといっしょに、入れ物に油を入れて持っていた。花婿が来るのが遅れたので、みな、うとうとして眠り始めた。ところが、夜中になって、『そら、花婿だ。迎えに出よ。』と叫ぶ声がした。
娘たちは、みな起きて、自分のともしびを整えた。ところが愚かな娘たちは、賢い娘たちに言った。『油を少し私たちに分けてください。私たちのともしびは消えそうです。』
しかし、賢い娘たちは答えて言った。『いいえ、あなたがたに分けてあげるにはとうてい足りません。それよりも店に行って、自分のをお買いなさい。』そこで、買いに行くと、その間に花婿が来た。用意のできていた娘たちは、彼といっしょに婚礼の祝宴に行き、戸がしめられた。
そのあとで、ほかの娘たちも来て、『ご主人さま、ご主人さま。あけてください。』と言った。
しかし、彼は答えて、『確かなところ、私はあなたがたを知りません。』と言った。だから、目をさましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないからです。
引用:聖書(新改訳)(マタイ25章1-15)
ここから教えられること
ともしび・・・・信仰
油・・・・・・・聖霊
- 油のない乙女は聖霊様がなくなった(消えてた、油断していた)という事。
- 信仰は聖霊様が必要。
- 霊的に寝てしまっている(不信仰、肉的、祈っていない)
- クリスチャンでも天国に行けなくなる事がある。
- 信仰の火が消えてしまったら天国に行けない。
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